*衣浦湾旧渡船場跡探索*



安城市在住 加藤博先生作品



先日、水族館〜かわら美術館を結ぶ歩行者・自転車専用道路を走った時、偶然、かわら美術館横の公園内で森前の渡し跡の石柱を見付けた。この専用道は 時々使うので、他にも2箇所旧渡船場跡を見たような記憶がある。そこで、森前も含めて渡し場跡3箇所を見て回りブログアップした。それを読んだ皆さんから、 更に、専用道路の延長線上に、大浜湊跡や北浦・半ア土場跡があることを教えて貰った。即ち、衣浦湾の碧南・高浜・刈谷側の旧渡し場跡を全部で5箇所知ることに なった。そこで、教えて貰った2箇所も探しに出掛けた。大浜湊は思わぬ所にそれらしい石柱が。そして、北浦・半ア土場は目立つ常夜灯と高い石柱が目印で、 見つかった。 これで知る限りの衣浦湾の渡し跡5箇所は揃った。只、渡しとなれば、対面があるはずだが、その知多半島側探索は後程にして、一旦、 碧南高浜刈谷市側だけを纏めてみた。その他にも渡し場があったかもしれない。逐次追加していくつもりだ。



旧渡し場跡探索ルート図(碧南高浜刈谷側)



注)渡し場跡の位置の詳細を見るときは、地図をクリックして拡大して下さい。吹き出しが 5箇所付いています。それが渡し場の位置です。



渡し場名称一覧表

表中の 渡し場名称をクリックして直接飛ぶこともできます

渡し場名称
渡しルート
北浦・半ア


  •   北浦・半ア(小垣江)⇔市原・高浜の湊
  •   北浦・半ア(小垣江)⇔お伊勢参り
     
藤江


  •   高浜市芳川町⇔知多東浦町藤江

森前


  •   高浜市青樹町森前公園内⇔半田市亀崎町
      
田戸


  •   高浜市田戸町⇔半田市亀崎町
      
大浜湊


  •   碧南市大浜町⇔半田市亀崎町
  •   碧南市大浜町⇔東京(江戸)
      






北浦・半ア

*北浦・半ア土場

北浦・半ア土場及び清水土場を併せて小垣江の土場と呼ばれていた。この辺りの年貢米はココで積み込み、大浜湊で廻船に積み替え江戸へと運ばれていた。また、 昭和初期まで、お伊勢参りの人達はココから出掛けていた。場所の目印は常夜灯と高い石柱と案内板である。

北浦・半ア土場(T)

北浦・半ア土場跡を表す常夜灯と石柱と案内板

北浦・半ア土場(U)
常夜灯と石柱は県道小垣江安城線沿いに立っている。
向こうに見える橋が巡見橋

案内板(T)


案内板(U)


猿渡川対岸から見た北浦・半ア土場跡

川岸に突き出ている石垣は、土場の跡か?





藤江

*藤江の渡し*
高浜マリーナを出て暫く海岸線を走ると、藤江の渡し跡の石柱が見える。ここ高浜市芳川町から対岸の知多東浦町藤江まで30人乗りほどの渡し船が通っていた。 5〜6人も客が集れば舟は出したようだ。人の往来が盛んになれば、縁談も持ち上がるというもの。嫁入り舟は昭和25年頃まで続いたとか。 その姿を今にとどめるため、芳川まつりには嫁入り舟を再現している。跡地には石柱と案内板が立っており、渡し場の石垣も残り、干潮の時見ることが出来る。 この渡しも衣浦大橋完成に伴い昭和31年(1956年)廃止された。


藤江の渡し跡石柱


海岸道路沿いの少し凹んだ位置に石柱と案内板が並んで立っている。



藤江の渡し跡石柱裏面


その裏面には、渡し場の往時の風情を後世に伝えるため、同志が集ってこの石碑を建てたとある。



藤江の渡し案内板


名鉄開通以前は、渡し船で藤江まで行き、武豊線経由で東京や京都へ出掛けた。



渡し場跡の石垣


当時の船着き場の石垣は、干潮時にはその姿を見ることが出来る。






森前

*森前渡し場*
2012.10.14

  東風の強い日でした。自転車に乗ったものの向かい風で引き戻されそうでした。矢作川堤防を風避けにして 碧南、安城、高浜と反時計回りに走っている内に、かわら美術館前に出ました。森前公園です。ここで一休みしていると、公園の中に森前渡船場跡の石碑を見付けました。 鬼のみちを少し走ると、此方にも森前秋葉神社の石柱が。昔、この辺り一帯は森前と呼ばれていて、衣浦大橋が出来る迄は、皆、高浜から亀崎へは森前渡船場を利用して いた。



森前渡船場跡石柱

森前公園の一角に立つ、渡船場跡石柱と案内板



森前渡船場跡案内板

森前渡船場の起源は不明だが、江戸時代には既に
高浜ー知多を結ぶ 要の役割を果たしていた。



森前地蔵尊

渡船場跡石柱の近くにお地蔵さんが安置されている。
海上交通の安全を見守っていたのでしょうか。






田戸

*田戸渡船番所蹟*
2012.10.2714


かわら美術館前の公園で「森前の渡し跡」の石柱を見付け、ブログに書いた。そのコメントで、吉浜海岸の特養ホーム近くにも渡船所跡がある。 更に、大浜にも渡し船があったそうな、と書き込んでいただいた。思わぬ情報を貰ったので、衣浦湾の他の旧渡船所跡も含めて、その歴史を調べるのも面白いかもと 思い立った。そこで、以前、田戸辺りにもそんな石柱を見たような記憶を頼りに、歩行者・自転車専用道路を走ってみた。ら、ありました。 「田戸渡船番所跡」の石柱と謂われ書きが。
田戸渡船番所蹟石柱(T)

石柱は自転車道直ぐ横にあって、背が高い。 文字が
自転車道と逆側に彫ってあるので、見逃しやすい


田戸の渡し案内板


起源は諸説ある様だが、次の写真「渡船番所蹟石柱(U)」 の側面に
彫り込まれている。 渡船は、衣浦大橋完成まで続いた。



渡船番所蹟石柱(U)

起源は定まっていないが、天正15年徳川家康が伊勢から この
渡し番所へ渡来、その後亀崎渡しが始ったと言い伝えられている。






大浜湊

*大浜湊*
2012.11.25
自転車専用道路エンドの大浜漁港近くに旧大浜湊があったことをブログで教えて貰った。そこで、漁港内」は勿論、堀川から港にが流れ込む、その出口の水門の辺り、 稲荷神社や川の周りを探して廻ったがそれらしい跡は見つからなかった。ならばと、堀川の上の湊橋まできたら。 橋の袂に湊橋と書いた石柱が4基残っていた。取りあえずこの位置を湊蹟に見立てることにした。大浜湊は亀崎との渡し以外に衣浦湾上流地域の年貢米を一旦ここに 終結し、江戸に送り出すこともしていた。この渡船場は明治8年に始まり、昭和44年まで続いたが、海底トンネル計画により終了することになった。

現在の湊橋の風景


堀川水門近くに架かる橋が現港橋。この橋を渡って
真っ直ぐ進むと藤井達吉現代美術館が在る。


湊橋の石柱4基


旧湊橋の4隅に配置されていた石柱だろうか。



堀川河口風景

現港橋から大浜漁港入口の水門方向を撮った。 稲荷神社も
在って、この辺りが旧大浜漁港と考えられる。



現在の水門風景


ネットで調べると、堀川水門近く、そして稲荷神社近くに湊があった
との記述が。


稲荷神社


堀川河口の右岸に稲荷神社が在って、当時もこの辺りは商店などで
賑わった面影がある。




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